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メモ 鷲田清一教授の寄稿

 〈隔たり〉ということを、いまもって強く意識させられたままだ。被災した地域の人びとと被災しなかったわたしたちとのあいだの〈隔たり〉。

 地震が起こった直後、被災地から遠く離れたわたしたちは、テレビの伝える映像に息を呑(の)むばかりであった。映像に釘づけになる日を幾日か過ごし、十六年前関西で被災した者として、すぐに何ができるだろうかと思った。義援金を送ること、被災地に食料や物資がしっかり回るようとりあえず消費を控えること……。

 被災地に声を届けなければと思っても、どんな言葉にもまとまらなかった。外からの声は、ときに暴言になる。そのことをいやというほど知っていたからである。神戸のとき、報道陣のヘリコプターに、建物の下敷きになっている人の声が聞こえないと憤った人もいたが、だれかがずっと見守ってくれていると感じる人もいた。おなじ一つの出来事が、被災のありようによって正にも負にもなった。そのことが身に沁(し)みていた。だからこのたびも、みな言葉遣いに慎重になり、口数もつい減った。

 一方、仙台市街に住む友人によれば、地震後しばらく、倒壊はまぬがれたものの引き続く強い余震に、深夜ひとりで部屋にいるのが怖くて、みなぞろぞろ街路に出てきたらしい。うずくまっている人がいれば、だれかれなく「大丈夫ですか」と声をかけあった。背負ってきたもの、抱え込んできたものがみなチャラになったかのような負の解放性、それを友人は「まちが突然、開いた」と表現した。

が、日を追うにつれて、この対比は逆転してゆく。

 長く住みなれた家では身体はまわりの空間に溶けでているが、避難所では身体は皮膚の内側に閉じこもる。他人の気配に緊張は解けず、何かがちょこっと身体にふれるだけで、身は竦(すく)み、凍(い)てついてしまう。皮膚はずるむけのそれのように傷つきやすく、それにつれて気持ちもささくれだってくる。だからつい「事件」も起こる。罵(ののし)りあいや怒号、そして慟哭(どうこく)が、あちこちで噴きだす。身をほどく空間もなく、たがいに擦り傷をこすりつけあうばかりのそうした生活は、耐えうるものではない。

 当初、身を襲っているものの姿さえ捉えられず、茫然(ぼうぜん)とするばかりだった被災者の心根に、やがてじわりじわり、喪(うしな)ったものの大きさが沁みてくる。家族や友人、あるいは家、あるいは職という、これまでみずからの生存の根であったものを失い、どう自分を立てなおすべきか途方に暮れるうち、だんだん言葉少なになってゆく。自分だけが生き残ったことに責めを感じ、押し黙ってしまう人もいよう。からだは忘れたがっているのに、頭のほうは忘れてはいけないと言う、そんな二つの声に引き裂かれている人もいよう。

 やっと水道が通ったばかりの地域もあれば、普段どおりの生活に戻った地域もある。「元」に戻ることを断念した人たちもいる。そんなかれらにとって、一人ひとりの記憶が深く刻まれた柱や瓦、日用品の数々がひとまとめに「がれき」と呼ばれるのは、耐えがたいことだろう。そして、一人、一人と避難所を去ってゆくなかで、取り残されたという感覚に押しつぶされ、崩れてゆく人も、悲しいけれどきっと出てくるだろう。〈隔たり〉は被災地でもさまざまなかたちで増幅するばかりだ

逆に、被災地から離れたところからは、妙にはしゃいだ声が聞こえはじめている。「エコタウン」をはじめとする東北の復興構想を、メニュー片手に得々と語る人たち。いつじぶんの出番が来るかと固唾(かたず)を呑んで待っている都市プランナーたち。政府の失政を声高に論評する人たち。あるいは、「がんばろう」「お見舞い申し上げます」という、もはや惰性と化した物言い。ここに人は、被災した人たち一人ひとりに届けられることのない「空語」をしか見ないであろう。そして、被災地の救済そっちのけでなされた、首相退陣をめぐる永田町内の泥仕合。

 被災した人、被災しなかった人の〈隔たり〉はここに極まれりと、あきれるというよりはむしろ絶望的な思いでそれを受けとめた人も、もちろん数多くいる。見苦しいというよりも酷薄な国会の混乱を前にして、言葉を荒らげることなく、静かに深く「憂国の情」を抱く人もいる。

 いずれにせよ、〈隔たり〉はなくなるどころか、いっそう大きくなるばかりだ。被災地のなかでも、被災地とその外とのあいだでも。

■想像力を鍛えておく。いつか耳を傾けられるように

 被災地ではいま、多くの人が〈語りなおし〉を迫られている。自分という存在、自分たちという存在の、語りなおしである。

 アイデンティティー(自分がだれであるかの根拠となるもの)とは「自分が自分自身に語って聞かせる物語」だと言った人がいる。R・D・レインという精神分析医だ。自分はだれの子か? 自分は男女いずれの性に属しているか? 自分は何をするためにここにいるのか? こういう問いが、人それぞれのアイデンティティーの核にある。これらの一つでも答えが不明になったとき、わたしたちの存在は大きく揺らいでしまう。

 子に先立たれた人、回復不能な重い病に侵された人、事業に失敗した人、職を失った人……。かれらがそうした理不尽な事実、納得しがたい事実をまぎれもないこととして受け容(い)れるためには、自分をこれまで編んできた物語を別なかたちで語りなおさなければならない。人生においては、そういう語りなおしが幾度も強いられる。そこでは過去の記憶ですら、語りなおされざるをえない。その意味で、これまでのわたしから別のわたしへの移行は、文字どおり命懸けである。このたびの震災で、親や子をなくし、家や職を失った人びとは、こうした語りのゼロ点に、否応(いやおう)もなく差し戻された。

 こうした語りなおしのプロセスは、もちろん人それぞれに異なっている。そしてその物語は、その人みずからが語りきらなければならない。戦後六十数年経っても、戦争で受けた傷、大切なだれかに死なれた事実をまだ受け容れられていない人がいるように、語りなおしのプロセスは、とてつもなく長いものになるかもしれない。

 語りなおしは苦しいプロセスである。そもそも人はほんとうに苦しいときは押し黙る。記憶を反芻(はんすう)することで、傷にさらに塩をまぶすようなことはしたくないからだ。あの人が逝って自分が生き残ったのはなぜか、そういう問いにはたぶん答えがないと知っているから、つい問いを抑え込んでしまう。だれかの前でようやっと口を開いても、体験していない人に言ってもわかるはずがないと口ごもってしまうし、こんな言葉でちゃんと伝わっているのだろうかと、一語一語、感触を確かめながらしか話せないから、語りは往々にして途切れがちになる……。

 語りなおすというのは、自分の苦しみへの関係を変えようとすることだ。だから当事者みずからが語りきらねばならない。が、これはひどく苦しい過程なので、できればよき聞き役が要る。マラソンの伴走者のような。

 けれども、語りなおしは沈黙をはさんで訥々(とつとつ)としかなされないために、聴く者はひたすら待つということに耐えられず、つい言葉を迎えにゆく。「あなたが言いたいのはこういうことじゃないの?」と。言葉を呑み込みかけているときに、すらすらとした言葉を向けられれば、だれしもそれに飛びついてしまう。他人がかわりに編むその物語が一条の光のように感じられてそれに乗る。自分でとぎれとぎれに言葉を紡ぎだす苦しい時をまたぎ越して。こうして、みずから語りきるはずのそのプロセスが横取りされてしまう。言葉がこぼれ落ちるのを待ち、しかと受け取るはずの者の、その前のめりの聴き方が、やっと出かけた言葉を逸(そ)らせてしまうのだ。聴くというのは、思うほどたやすいことではない。

 いや、そもそもわたしたちはほんとうにしんどいときには、他人に言葉を預けないものだ。だからいきなり「さあ、聴かせてください」と言う人には口を開かない。黙り込んでいた子どもが、母親が炊事にとりかかると逆にぶつくさ語りはじめるように、言葉を待たずにただ横にいるだけの人の前でこそひとは口を開く。そういうかかわりをまずはもちうることが大事である。その意味では、聴くことよりも、傍らにいつづけることのほうが大事だといえる。

 しかし、それは被災地から隔たったところで暮らしている人にできることではない。ちょいとボランティアに行ったからといってできることでもない。

 いま「復興」を外から語る声は、濁流のなかでおぼれかけている人に橋の上からかける声のように響く。詩人の和合亮一さんがある対談のなかで、「自分は川の中で一緒におぼれないと何もいえない」というジャーナリストの声を引き、それこそ「想像力」であり、「川で一緒におぼれるのが詩なんです」と語っていた。濁流に入れなくても、濁流に入り込む想像力はもちうる。その想像力を鍛えておくことが、いまは必要だ。東北の友人に次に会うときのために。いつか東北を旅するときに知りあった人の語りにじっと耳を傾けられるように。

 神戸では、このたびの震災の映像を見て、激しいフラッシュバックに襲われた人もいる。幼児のときに被災した若者は、あのときは意味がわからなかったが、長じていま、過去にはじめて出会うかのような映像にふれ、より深い傷を負いなおしているという。聴きとどけなければならない声は、そんなところにもある。

 関西には独特な語りのくせがある。いかに悲惨なことでも「泣き笑い」で語り、相手を面白がらせるというサービスである。家が倒壊したことを、ある初老の男はこう表現した。「女房は二階で寝ていたはずやのに、ふと見たら横におるんですわ」。この語りが聴く者の緊張をほどいた。東北にも別の語りの伝統がある。遠野の民話、宮沢賢治の童話、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」という井上ひさしの語り、さらにケセン語に訳された福音書……。その語りの伝統が、このたびの苦難の語りのなかで活(い)きることを祈っている。

    ◇

 わしだ・きよかず 49年京都生まれ。関西大や阪大の教授などをへて07年から現職。専門は臨床哲学、倫理学。著書に「『聴く』ことの力」「『待つ』ということ」など。
 
*2011.6.11朝日新聞朝刊


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